名刺交換『金沢みやおさん』


・手塚世界との出会いのきっかけ

 1963のTVまんが「鉄腕アトム」です。
 当時私は幼稚園児。我が家にTVが来てまもなくのころだったはずです。
 もっともその頃は手塚治虫なる漫画家を意識することもありませんでしたが。

 ちゃんと意識したのは、10歳前後でしょう。
 まんが好きな叔母の家で「火の鳥」を読ませてもらったりしたものでした。
 それと、その頃宝塚に住んでいたのですが、逆瀬川神社(?)の夏祭りに奉納
 された提灯にアトムの絵(色つき)が描かれていたのを見た記憶があります。

 親が横から「あれは手塚治虫の子供が描いたんだ」と説明してくれました。
 子供心にも、なんて上手な絵!と驚いたのですが、あれは手塚真氏の筆だったのでしょうか。

・ファン歴

 「鉄腕アトム」から数えたならば、38年になります。でも、熱心なファンではありませんでした。
どころか、一時は「手塚治虫は過去の人、終わった人」 と思ってたくらいでして・・・。

 本当に熱心に漫画作品を読み出したのは、先生の没後からです。大人になってお小遣いの融通がきき、
また文庫などがたくさん出て読みやすくなっていましたから。はあ、そういうインチキな手塚ファンなんです。

 でも不思議なもんで、そんな私でも知らない間に影響を受けていたらしいのですね。
大学に入った頃、有志で作ったクラス名簿にちょこっと人物のカットを描いたら、
級友に「おまえの絵は手塚治虫ふうだな」と言われました。

 当人は意識していなかったので、へえっ?という感じでしたが、気づかぬ間に「手塚まんがが漫画の標準!」という
頭ができていたようです。

・好きな手塚作品

 もっとも繰り返し読みなおしているという点からして、「ブラック・ジャック」と「火の鳥」です。

・現今の「手塚度」

 このMLにせっせと書きこみをしたこの一年間が、わが人生における手塚度最高!の時期でした。
 入手しやすい版で漫画を読んで楽しんでいるのがもっぱらです。

・ハンドルネーム

  金沢みやお。以前の勤務地と本名のアレンジでして、手塚度はナシです。
 ニフティのパソコン通信のころから、ハンドルはこれ一つだけで、まあ首尾一貫しているといえばいえますね。

・私のWebサイト

MIYAO LAB HomePage

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